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那須野が原西部地区ってどんなところ?

那須野が原イメージ
 那須野が原は那須野・那須原ともいい、「那須野原」、「那須野が原」等と表記されます。狭い意味では箒(ほうき)川と那珂(なか)川に囲まれた木の葉型の扇状地をいい、面積は約4万haに及びます。
 那須野が原には、江戸時代の用水開削と新田開発、明治時代の華族・政府高官・地元結社等による大農場の成立と日本三大疏水の那須疏水の開削、戦後の開拓団の入植と那須野が原の総合開発といった開拓の歴史があり、全国的にも特筆すべき地域となっています。
 その西部に位置するのが那須野が原西部地区で、現在も各所に残る開拓の遺産に触れることができます。本地区の西部は、かつて那須西原と呼ばれた広大な原っぱが広がり、周辺の村々が共同の草刈場として利用していました。この那須西原に開拓の鍬が下ろされたのは明治13年(1880)で、那須野が原で最初の農場となる肇耕社(ちょうこうしゃ)(後の三島農場)や那須開墾社が創設され、明治18年(1885)には那須疏水の本幹水路が完成、那須西原の開拓が徐々に進展していきました。
 本地区の東部は湧水が多く、昔から比較的水に恵まれた地域で、古くからの遺産が多く残っています。縄文時代の遺跡が点在、江戸時代以前から村落が形成されており、慶長年間(1596〜1625)には那須野が原で最も古い用水の一つである蟇沼用水が引かれました。また、江戸時代には会津中街道や原街道が整備され、物資輸送で賑わった沿道の村(宿)もありました。
 本地区は湧水や疏水といった水に育まれた地域で、古くからの文化と開拓の文化が混在した豊かな田園空間が広がっています。田園空間博物館那須野が原西部地区では、歴史と文化に育まれた地域資源を田園空間に広がる展示物(サテライト)として地域の方々を中心として守り育て、美しい田園空間の創造と地域の活性化を目指しています。


那須野が原西部地区


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