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サテライト(展示物)のご案内

狩野地区コミュニティ
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◎ 狩野地区コミュニティセンター(狩野公民館)
名 称 カリノチクコミュニティセンター(カリノコウミンカン)
地 域 狩野地区コミュニティ
ルート Bルートふるさと湧水群ルート
 狩野地区コミュニティセンターは、槻沢小学校区内にある9自治会で構成され、1980年(昭和55年)に発足した狩野地区コミュニティの活動拠点です。また、田園空間博物館のフットパス「ふるさと湧水群ルート」の出発拠点でもあります。
 狩野地区コミュニティは、西那須野地区でも歴史の古い地域で、江戸時代には10か村がありました。さらには、縄文時代の槻沢遺跡や地区内にはいくつもの湧水があるなど、西那須野地区の他のコミュニティにはない特色のある地域です。コミュニティでは、「盆おどり」「どんど焼き」「マスのつかみ取り」など数多くの行事を行い、相互の連帯感を高め和やかな地域づくりを目指しています。
駐車場
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1 鶏鳥神社
名 称 ケイチョウジンジャ
地 域 狩野地区コミュニティ
ルート Bルートふるさと湧水群ルート
 鶏鳥神社は、関根の後藤家の氏神として祀ったことに始まり、鶏権現とも呼ばれています。鶏鳥神社は、感冒の神としての信仰が強く、参拝すると風邪にかからないというので、1935年(昭和10年)頃まで多数の参拝者があり、奉納された鶏の絵が社殿一杯に飾られていたと言います。神社には、御神木のケヤキと杉にまつわる話が多く、御用材として御神木を伐採しようとしたところ、祟りによって多数の病人やけが人が出たため、伐採が中止になった話などがあります。
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2 西遅沢の出釜湧水地
名 称 ニシオソザワノデガマユウスイチ
地 域 狩野地区コミュニティ
ルート Bルートふるさと湧水群ルート
Jルート水と森満喫ルート
 西遅沢の出釜湧水地は、5月から水の枯れる12月まで、窪地から豊富な水を湧出しています。田園空間博物館整備事業の一環として、湧水口一帯を地域の人々が水に親しめるよう公園として整備しました。なお、西那須野地区の東部地域には、現在でもいくつもの湧水地が残っています。ちなみに、出釜とは、この地域で水の湧く泉のことを言います。
駐車場
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3 遅沢の板倉
名 称 オソザワノイタクラ
地 域 狩野地区コミュニティ
ルート Bルートふるさと湧水群ルート
Jルート水と森満喫ルート
 遅沢の板倉は、遅沢喜悦氏所有のものです。倉は、穀物やみそを保存・貯蔵したり家財など火災や盗難から守るための建物です。かつては、土蔵も多く見受けられましたが、現在は、あまり見かけなくなってきています。ここの板倉の脇には、柿の木が植えられ昔の農村風景を今に伝えています。
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4 西遅沢の温泉神社
名 称 ニシオソザワノオンセンジンジャ
地 域 狩野地区コミュニティ
ルート Bルートふるさと湧水群ルート
 西遅沢の温泉神社は、西遅沢公民館の敷地内にあり、五穀豊穣(ごこくほうじょう)の神様として祀られています。奉納された石燈籠には、1805年(文化2年)、棟札には1834年(天保5年)との記載があります。神社内には、稲荷神社、月夜見大明神、八雷龍王神霊(やくさいかづちりゅうおうおおみたま)、神祖熊野大神櫛御気野命(くまののおおかみくしみけぬのみこと)の4神が祀られています。
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5 井口の生駒神社と石碑
名 称 イグチノイコマジンジャトセキヒ
地 域 狩野地区コミュニティ
ルート Bルートふるさと湧水群ルート
 井口の生駒神社は、明和年間(1764年〜1772年)に矢板市玉田の生駒神社を勧請し、祀ったもので通称「ソウゼン様」の名で呼ばれています。明和年間にこの地域に馬の病気が流行し、亡くなる馬が多かったことから生駒神社に病気の平癒を祈願したところおさまったと言われています。神社には熊谷直実の武者絵を描いた絵馬(1811年(文化8年))が奉納されています。また、神社脇には、馬頭観音や庚申塔などの石碑が多数あります。
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6 椿稲荷
名 称 ツバキイナリ
地 域 狩野地区コミュニティ
ルート Bルートふるさと湧水群ルート
Jルート水と森満喫ルート
 椿稲荷は、井口地内にありかつて椿の大木(樹高約8m、根本回り2.22m、推定樹齢約250年)が境内にあったことから椿稲荷の名で親しまれています。建立は、1579年(天正7年)頃と言われ、九尾の狐の霊を祀るために建立したとの伝説が残っています。参道には、信者が奉納した赤い鳥居が並び、何株かの椿がかつての面影を今にとどめています。毎年2月二の午に例祭が行われます。
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7 井口の天満宮
名 称 イグチノテンマングウ
地 域 狩野地区コミュニティ
ルート Bルートふるさと湧水群ルート
 井口の天満宮は、由緒沿革が不明です。天満宮とは、菅原道真の御霊と雷神とが合わさった天神信仰が起源で、学芸の神様として寺子屋の普及とともに全国に広がっていきました。ここの天満宮は後に二子塚温泉神社を合祀しており、また、境内には愛宕神社の小さな祠があります。
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8 慶乗院
名 称 ケイジョウイン
地 域 狩野地区コミュニティ
ルート Bルートふるさと湧水群ルート
 慶乗院は、室町時代の1394年(応永元年)に創建された高野山真言宗に属する寺院です。本尊は不動明王です。この本尊の脇に安置されている石仏に刻まれた文字から、1813年(文化10年)か、これ以前に寺が焼失したことが分かっています。本堂はその後1853年(嘉永6年)に再建され、今の本堂は1965年(昭和40年)に改築されたものです。本寺は、那須三十三観音霊場第14番札所となっています。また、1960年(昭和35年)に境内の地中から出土した16弁の菊の紋章が刻まれた石碑2基がありますが、宮内庁の調査でも皇室関係と結びつくような材料は見つかっていません。
駐車場
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9 津室川湧水地
名 称 ツムロガワユウスイチ
地 域 狩野地区コミュニティ
ルート Bルートふるさと湧水群ルート
Jルート水と森満喫ルート
 津室川湧水地は、西遅沢地区の出釜からの湧水と異なり湧水出口の上流部に埋められた集水管によって集められた水が湧水しています。田園空間博物館整備事業では、駐車場の他、水路に沿って遊歩道を設置し人々が水に親しむことができるよう整備しました。なお、津室川は、このような上流の水を集めた二つの湧水が水源となっており、5月から12月まで豊富な水を湧出しています。
駐車場
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10 槻沢遺跡
名 称 ツキノキザワイセキ
地 域 狩野地区コミュニティ
ルート Bルートふるさと湧水群ルート
 槻沢遺跡は、高柳地区と槻沢地区の境を流れる津室川の東側の小高い丘陵地帯に広がる縄文時代中期から後期(約4000年〜5000年前)の遺跡です。遺跡の発掘は古くから知られ、これまで7回の発掘調査が行われました。中でもライスラインの通過に伴う発掘では、住居跡約180、土抗(どこう)(食糧貯蔵のための穴)約450が確認され、縄文時代の大集落跡であったことが分かっています。発掘では、遺構他膨大な土器や石器も出土しており、特に一つの土抗から、東北形式と関東形式が混じった30個の土器や土器片が出土し、文化交流を裏付けるものとして、国指定重要文化財に指定されています。出土した様子は、復元され那須野が原博物館に展示されています。
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11 権現山の湯殿神社
名 称 ゴンゲンヤマノユドノジンジャ
地 域 狩野地区コミュニティ
ルート Bルートふるさと湧水群ルート
 権現山の湯殿神社は、山形県湯殿山より分社したと伝えられています。湯殿山は、山自体が信仰の対象であり山伏と呼ばれる山岳修行者が行を積むところです。権現山南側にもかつて修験者が住んでいた行屋(ぎょうや)があり、木造の大日如来が奉られていました。この、大日如来は、石林に移転され大日堂が建立され今でも信仰を集めています。湯殿神社の祭日は、4月10日と10月5日で、かつては相撲や獅子舞が奉納されていました。
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12 温泉神社のなんじゃもんじゃの木
名 称 オンセンジンジャノナンジャモンジャノキ
地 域 狩野地区コミュニティ
ルート
 温泉神社のなんじゃもんじゃの木は、高柳温泉神社にあります。南地区コミュニティ内の「なんじゃもんじゃ」は、「ハルニレ」ですが、ここのなんじゃもんじゃは、もくせい科の「ヒトツバタゴ」で1978年(昭和53年)に植樹されたものです。ヒトツバタゴは、愛知、岐阜、対馬だけに自生し、5月頃に白い花をつけます。名前がわからない木を「なんじゃもんじゃ」と呼んでいたようで、この木もそう呼ばれていました。
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