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サテライト(展示物)のご案内

三島地区コミュニティ
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◎ 三島地区コミュニティセンター(三島公民館)
名 称 ミシマチクコミュニティセンター(ミシマコウミンカン)
地 域 三島地区コミュニティ
ルート Dルート開拓の京(みやこ)ルート
 三島地区コミュニティセンターは、三島小学校区内にある6自治会で構成され、1987年(昭和62年)に発足した三島地区コミュニティの活動拠点です。三島地区コミュニティは、明治期の三島農場所有地にあたります。また、田園空間博物館の巡回ルート「開拓の京(みやこ)ルート」の出発拠点でもあります。
 三島地区コミュニティでは、「子供おはやし」「しめ飾り講習会」など数多くの行事を行い、明るく、住み良く、将来に希望の持てる地域づくりを目指しています。
スタンプラリー駐車場
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1 三島神社
名 称 ミシマジンジャ
地 域 三島地区コミュニティ
ルート Dルート開拓の京(みやこ)ルート
Jルート水と森満喫ルート
 三島神社は、1889年(明治22年)に移住者たちにより創建され、三島農場主三島通庸(みちつね)と三島家累代の人々、また開拓の先人142人を柱として祭っています。
 現在の社殿は、1909年(明治42年)に改築されたもので、毎年10月第2日曜日に例大祭が行われます。
 また、社務所の脇には通庸の片腕と言われ、那須野が原開拓に活躍した柴山景綱の碑があります。
駐車場
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2 ボーイスカウト那須野営場
名 称 ボーイスカウトナスヤエイジョウ
地 域 三島地区コミュニティ
ルート Dルート開拓の京(みやこ)ルート
 那須野営場は第四代総長の三島通陽(みちはる){三島通庸(みちつね)の孫}が土地をボーイスカウト日本連盟に提供したもので、敷地は5.3haあり、杉や松の古木におおわれた自然に恵まれた環境にあります。
 場内には、有名な那須与一のトーテムポールの他、コース広場、スカウト広場、カブ広場、宿泊研修棟などがあります。
 1957年(昭和32年)には、隊長のためのギルウェルコースが設定されました。

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3 三島開墾紀恩碑
名 称 ミシマカイコンキオンヒ
地 域 三島地区コミュニティ
ルート Dルート開拓の京(みやこ)ルート
 三島開墾紀恩碑(きおんひ)は、1880年(明治13年)に那須野が原開拓に着手した肇耕社(ちょうこうしゃ)の創設者 三島通庸(みちつね)の偉業をたたえるために、移住者や関係者により1922年(大正11年)に建てられたものです。
 碑文は宮内省御用掛(ごようかかり)文学博士 西村時彦によるものです。
 紀恩碑のあるこの地は、陸羽街道(旧国道4号)と塩原街道(旧国道400号)との交差する三島農場の中心でした。
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4 さんさん通り
名 称 サンサンドオリ
地 域 三島地区コミュニティ
ルート Dルート開拓の京(みやこ)ルート
 さんさん通りは、1987年(昭和62年)に子供達が自然と触れ合える体験学習の場を作ることを目的に整備された400mの通学路です。
 三島小学校では、水土里(みどり)ネット那須野ケ原や田植唄保存会などの協力を得て「田んぼの学校」で古代米を育て、「めだかの学校」ではメダカの生態学習を行うなど自然環境の大切さを学んでいます。
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5 狩野村役場跡
名 称 カリノムラヤクバアト
地 域 三島地区コミュニティ
ルート Dルート開拓の京(みやこ)ルート
 狩野村は、1889年(明治22年)三島村など11村が合併して誕生しました。当時の村役場は、現在の三島4丁目 塩原街道(旧国道400号)沿いにありました。その50年後の1939年(昭和14年)には、800mほど南東 現在の三島1丁目の塩原街道沿いに新築移転されました。この新しい役場は、木造2階建て延べ面積116坪(約382u)、敷地面積406坪(約1,342u)ありました。
 1955年(昭和30年)2月には、狩野村と西那須野村とが合併して旧西那須野町が誕生しました。

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6 南郷屋公民館温泉神社と原街道道標
名 称 ミナミゴウヤコウミンカンオンセンジンジャトハラカイドウドウヒョウ
地 域 三島地区コミュニティ
ルート Dルート開拓の京(みやこ)ルート
南郷屋公民館にある温泉神社は1990年(平成2年)公民館新設に伴い東町の旧公民館跡地から移転されたもので、創建時代は不詳ですが大己貴命(おおなみむちのみこと)、大国主神(おおくにぬしのかみ)、少彦名命(すくなひこなのみこと)を祭っています。
 社殿の前には、1752年(宝暦2年)に建てられた下部に三猿が刻まれた庚申供養塔が(こうしんくようとう)があります。
 また、この塔の横に「左うすば」「右石上」と刻まれた石碑gaあり、原街道の道標であったことがわかります。
駐車場
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7 東赤田の馬頭観音
名 称 ヒガシアカダノバトウカンノン
地 域 三島地区コミュニティ
ルート Dルート開拓の京(みやこ)ルート
 馬頭観音は、仏教においては衆生の無智・煩悩を排除し、諸悪を毀壊する菩薩です。
 この馬頭観音は、死んだ馬を供養するために建てられた石碑で、馬頭観音の文字が刻まれています。この馬頭観音は、東三島地区にあったものが移設されたものです。
 農作業のほとんどを人力で行っていた時代、馬は牛とともに田畑を耕す農具を引っ張るために飼育され、同じ屋根の下で生活する家族同様の大切な動物でした。また、赤田地区では子馬を「ジャキ」と呼んで可愛がりました。
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