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大山地区コミュニティセンター(大山公民館) |
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名 称 |
オオヤマチクコミュニティセンター(オオヤマコウミンカン) |
地 域 |
大山地区コミュニティ |
ルート |
Aルート:自然ふれあい将軍ルート |
大山地区コミュニティセンターは、大山小学校区内にある4自治会で構成され、1990年(平成2年)に発足した大山地区コミュニティの活動拠点です。大山地区コミュニティは、明治期の大山農場所有地にあたります。また、田園空間博物館のフットパス「自然ふれあい将軍ルート」の出発拠点でもあります。
大山地区コミュニティでは、「どんどん焼き」「花いっぱい運動」など数多くの行事を行っています。また、地域内には保育園、小中学校及び高等学校があるため、「文教と友愛の郷」を合い言葉に、子供からお年寄りまで楽しく元気に学びあえる地域を目指しています。 |
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大山別邸 |
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名 称 |
オオヤマベッテイ |
地 域 |
大山地区コミュニティ |
ルート |
Aルート:自然ふれあい将軍ルート |
Jルート:水と森満喫ルート |
大山別邸は、明治の元勲(げんくん)大山巌(いわお)が、自身の農場内に建てた和館と洋館からなる建物です。和館は、大山の郷里・鹿児島で見られる台風に備えた造りで、洋館は、農場内で焼いたレンガを利用した重厚な造りです。別邸の北側には、那須野が原の強風を防ぐための土手(土塁)が築かれています。
現在、別邸の外観の見学は自由にできますが、管理を県立那須拓陽(たくよう)高等学校が行っていますので、別邸内部を見学される場合は、那須拓陽高校にご連絡ください。
【問い合わせ】県立那須拓陽高等学校
電話:0287−36−1225(土・日、祝日は休み) |
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大山墓所とモミジ並木 |
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名 称 |
オオヤマボショトモミジナミキ |
地 域 |
大山地区コミュニティ |
ルート |
Aルート:自然ふれあい将軍ルート |
Jルート:水と森満喫ルート |
大山墓所は、大山巌(いわお)本人のほか、鹿鳴館の華と言われた捨松(すてまつ)夫人や小説「不如帰(ほととぎす)」の浪子のモデルとなった娘・信子など大山家の人々が埋葬されています。なお、墓所の見学はできません。
モミジ並木は、大山墓所の参道に植えられた約200メートルのモミジ並木です。モミジは、1917年(大正6年)に宮内省技師・山本直三郎の設計により植樹され、かつてはモミジと桜が1本おきに植えられていました。現在は、市の天然記念物として指定され、また、大山公園として整備され、新緑と紅葉の時期には人々の意向の場となっています。 |
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新南のエドヒガンザクラ |
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名 称 |
シンナンノエドヒガンザクラ |
地 域 |
大山地区コミュニティ |
ルート |
Aルート:自然ふれあい将軍ルート |
Jルート:水と森満喫ルート |
新南に幹周3.3メートル推定樹齢200年の希少なエドヒガンザクラがあり、春先に美しいピンク色の花をつけます。かつては林の中でひっそりと咲いていましたが、地元の方々が整備を進め、多くの人の目に止まるようになりました。 |
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ポッポ通り |
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名 称 |
ポッポドオリ |
地 域 |
大山地区コミュニティ |
ルート |
Aルート:自然ふれあい将軍ルート |
「ポッポ通り」は、1918年(大正7年)に西那須野から黒羽まで開通した東野鉄道の軌道跡を歩行者と自転車の専用道路に整備したものです。東野鉄道は、1968年(昭和43年)に廃止されましたが、通りには機関車の車輪やプラットホームが設置されており、往時をしのばせます。 |
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乃木神社と桜並木 |
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名 称 |
ノギジンジャトサクラナミキ |
地 域 |
大山地区コミュニティ |
ルート |
Aルート:自然ふれあい将軍ルート |
Jルート:水と森満喫ルート |
乃木神社は、明治天皇の崩御に際し殉死した陸軍大将 乃木希典(まれすけ)を祀る神社で、1916年(大正5年)に生前農業を行ったこの地に建てられました。乃木大将は、1891年(明治24年)に石林に農地を求め、「農は国家の大本(おおもと)なり」と自ら鋤(すき)を手に畑を耕しました。また、境内には、遺言(ゆいごん)書、刀剣など将軍ゆかりの品々を展示する宝物館のほか、別邸が保存されています。
桜並木は、神社へと続く参道脇に植えられた約600mの並木です。花の開花する4月中旬には、多くの人々が見学に訪れます。なお、順次古木の植え換えが行われています。 |
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乃木神社の樹林 |
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名 称 |
ノギジンジャノジュリン |
地 域 |
大山地区コミュニティ |
ルート |
Aルート:自然ふれあい将軍ルート |
Jルート:水と森満喫ルート |
乃木神社の樹林は、乃木神社社殿の裏側にあり、この地域の自然林の特徴が見られることから、市の天然記念物にも指定されている貴重なものです。乃木大将は、木を伐採することを好まなかったことから、往時と同じ自然のままの姿を残しています。樹種約30種、本数約500本にもおよび太いものでは、樹齢200年にもなります。また、静子林という大将の奥さまの名をとった林もあります。 |
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乃木清水 |
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名 称 |
ノギシミズ |
地 域 |
大山地区コミュニティ |
ルート |
Aルート:自然ふれあい将軍ルート |
Jルート:水と森満喫ルート |
乃木清水は、乃木神社の樹林内に湧き出す泉で、陸軍大将乃木希典(まれすけ)が、この地で生活している時は顔を洗ったと言われています。泉は、5月頃から翌年1月頃にかけて、出釜(でがま)部や清水の流れに沿ってしみ出すように湧き出します。
清水の石には、淡水産紅藻類(たんすいさんこうそうるい)に属するノギカワモズクが見られ、希少な植物として市の天然記念物に指定されています。乃木清水に沿って、木道や飛び石等散策路が整備されています。 |
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乃木別邸と静沼 |
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名 称 |
ノギベッテイトシズヌマ |
地 域 |
大山地区コミュニティ |
ルート |
Aルート:自然ふれあい将軍ルート |
Jルート:水と森満喫ルート |
乃木別邸は、陸軍大将乃木希典(まれすけ)が、1892年(明治25年)に自ら設計した建坪53坪の木造瓦葺の建物です。乃木大将は、石林のこの地をこよなく愛し、通算4年間静子夫人と過ごし、自ら鍬(くわ)や鋤(すき)を握って農作業にいそしみました。現在の別邸は、1993年(平成5年)に再建されたもので見学することができます。
静沼は、乃木大将とともに明治天皇の崩御に際し殉死した静子夫人にちなんで名づけられました。乃木別邸のそばの水田跡地に造られた灌漑(かんがい)用の池で、神社境内を流れる蟇沼(ひきぬま)用水から水を引いています。 |
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石林の道標と大松 |
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名 称 |
イシバヤシノドウヒョウトオオマツ |
地 域 |
大山地区コミュニティ |
ルート |
Aルート:自然ふれあい将軍ルート |
道標は、1725年(享保10年)に原街道沿いに建てられた高さ122cm、幅47cmの石碑で、市の有形民俗文化財に指定されています。石碑中央には、法華経66部を写し、諸国の霊場(れいじょう)に納めるために国々を歩いたこと、側面には「右なすみち」「左しおばらみち」と刻まれております。
大松は、かつては道標の反対側にあった樹齢約250年の松の大木のことです。1982年(昭和57年)に枯れてしまい、その後2代目の松を植えましたが、この松も枯れてしまいました |
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石林の墓沼用水玉石積水路 |
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名 称 |
イシバヤシノヒキヌマヨウスイタマイシヅミスイロ |
地 域 |
大山地区コミュニティ |
ルート |
Aルート:自然ふれあい将軍ルート |
Jルート:水と森満喫ルート |
蟇沼用水は、慶長年間(1596年〜)に開削され、1771年(明和8年)に大田原城まで引かれました。城内の飲用水として使用されたため沿線の農民が利用することはできず、利用できるようになったのは明治に入ってからでした。
現在は、農業用水として利用されており、石林地区の人たちの手により玉石を積み上げられた水路が今に至っています。 |
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大山小学校の自然林 |
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名 称 |
オオヤマショウガッコウノシゼンリン |
地 域 |
大山地区コミュニティ |
ルート |
Aルート:自然ふれあい将軍ルート |
大山小学校は、1977年(昭和52年)に開校しました。学校敷地内には、8,000uの平地林があり、クヌギ、コナラ、赤松など100以上の樹種が見られます。特に、市の天然記念物に指定されているギガンピは、近畿以西の温暖な山地に自生する暖地性種の落葉低木で、北限・隔離(かくり)分布する貴重な植物です。大山小学校では、この平地林を教育活動に生かし、内閣総理大臣賞を受賞しています。 |
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